峰定寺のコウヤマキ
京都府京都市左京区花脊原地町772
峰定寺仁王門の前に立派な高野槙の大木があります。高野槙は高野山に多く産するスギ科の常緑高木で、世界中で日本にのみ産します。
大堰川上流域は山国林業と称され、平安時代からの林業先進地帯です。当時の山国庄は非常に広域で、ここ花背や広河原も山国庄の領域でした。白洲正子の「かくれ里」に(山国の火祭り)があり、花背の松上げが紹介されています。
峰定寺本堂は20年前に登りました。ここは修験道の修行場、連れの女性陣は夏の最中、ノースリーブ禁止とかで慌てた記憶があります。舞台懸崖造りの本堂は見事なものでした。清水寺の舞台造りの原型です。石段の途中に俊寛妻子の供養塔がありました。平家全盛の頃、鹿ケ谷の陰謀(後白河法王の密命により平家打倒を画策した)により清盛の怒りにふれ、硫黄島に流された俊寛の妻子が、この峰定寺に隠棲したと伝えられています。昨年薩摩硫黄島に行く機会がありましたが、港の西端に、妻子を思ってか、はるかなる水平線に向かい、右手を天空に振りかざし、髪を乱して叫び続ける無念の俊寛像は強烈でした。
摘み草料理美山荘の前で、おかみさんでしょうか、たちかけ姿の美しい女性2人と会釈を交わし帰途につきました。
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