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2007年10月14日 (日)

有明の松(伐採)

茨城県石岡市中戸 撮影2007.9 MAP
Pa050010w200  地図に「有明の松」と表示があったので行ってみました。かつてここに県指定の天然記念物にまでなった松の大木がありました。昭和55年松くい虫にやられて伐採されたとのことのことです。名板や案内板はそのまま残っていました。伐採後、同じ場所に写真のような松が植えられたようです。
「有明の松
所在地 八郷町大字中戸字有明
 この松の樹齢は明らかでないが直径1mあまりもある直幹、四方に張った大枝は常に天風に吟じ、行き来の人の目標ともなる見事な一本松であった。この辺からすぐ東に見える難台山をめぐって、昔合戦があった。砦は山の東側にあり頂上から西側は戦場にならなかったが、岩瀬、下館方面の味方から来る兵粮がこの辺からひそかに山道を運び上げるので夜になると小荷の往来がしきりであった。合戦は新緑の頃からはじめて、翌年の五月に終わったが、この一年間、力戦した城兵も、糧道を敵に探知され、西から来る糧米を途中で奪取され、遂に食つき、城主は戦死し、城は焼かれ、城兵の大半は敵の眼をかすめて逃げ去った。城危しと見たその夜、城主は篭城していた婦女子を城から落とした。五~六名の従者に守られた婦女子は、敵の包囲する東側を避け、山道を這い上がて頂上にたどり着き、それから闇の中を西に降りた。敵の追撃が恐ろしく、夜が明けるまでに里に下りたいの一心で、険しい山の降り道を手足を血だらけにして、ようやく平地にたどりつき夜明けを迎えた。敵の眼からのがれ、やっと安心し、道添にある大松の下で一休みした時、夜明けの空がさわやかであったので、自分等の行先も、この松にあやかり、長くたくましかれとの念願から有明の松と名づけてここを立ち去ったといわれる。
 昭和41年3月7日県指定の天然記念物となったが昭和55年松くい虫のため伐採された。
昭和55年12月
八郷町教育委員会
有明の松保存会」

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コメント

現在植えられている松は、中戸に住んで居る方が、親木から採取した種子を発芽させ育て上げた、純粋な有明の松の子木であります。

投稿: | 2008年11月16日 (日) 00時38分

コメントいただきありがとうございます。
そうでしたか、在りし日の有明の松は存じていませんが、写真の松は二代目なのですね。先代にもまして立派な大木に育ちますようお祈りします。

投稿: ジロー | 2008年11月18日 (火) 03時22分

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