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2008年11月 2日 (日)

馬場大門のケヤキ並木

東京都府中市宮町、宮西町、寿町、府中町 国指定天然記念物、撮影2008.10 巨樹MAP

Pa260010w400 Pa260029w200 京王線特急で新宿から約20分で府中駅です。府中駅で下車するのは初めてでしたが、駅を出て大通りの立派なケヤキ並木を見て、大変感激しました。
馬場大門というのは、けやき並木北の交差点から大国魂神社前の交差点までの間、全長550mの古称で、大国魂神社の参道になります。ここに152本のケヤキが植えられ、中には目通り6m を超える古木が2本確認されています。広々とした街路に大樹の緑、こんな街に住んでみたいです。

「大国魂神社と馬場大門欅並木
 
馬場大門ケヤキ並木は大国魂神社の参道であり、江戸時代には並木北端(都立農業高校付近、ケヤキ並木南端から550m余北)大国魂神社の木製の一之鳥居が建立されていました。現在では昭和26年に寄進された大鳥居(二之鳥居)が境内に建立されています。ケヤキ並木の起源は源頼義・義家父子が奥州・阿部氏反乱(「前九年の役」と呼ばれ、永承6年(1051年)から康平5年(1062年)までの乱)の平定の途中、大国魂神社に戦勝を祈願し、平定後も参拝してケヤキの苗千本を奉植したのが始まりと伝えられています。現在のケヤキ並木は天正18年(1590年)に徳川家康が江戸に入り、慶長年中(1596年~1615年)に二筋の馬場を寄進し、両側に土手を築いてその上にケヤキの苗を植えたのが始まりです。その後、寛文7年(1667年)に老中久世大和守が府中宿の大火(正保3(1646年))で焼失した六所宮(大国魂神社)の再興とともにケヤキ並木の補植を行っています。なお、徳川家康によるケヤキ並木馬場の寄進は、府中で伝統ある馬市が開かれていたことにもよります。とくに、府中の馬市は戦国時代から江戸時代初期にかけて、関東でも有数の軍馬の供給地であり、馬市は53日の「駒くらべ」の日から始まり、9月晦日まで5ヶ月にわたって開催されました。ケヤキ並木は大正13年、国の2番目の天然記念物に地域指定されています。毎年5月の例大祭(くらやみ祭)では、3日にケヤキ並木で夕方から囃子の競演、競馬式(駒くらべ)が執り行われています。
大国魂神社・府中市観光協会」

「源の義家公とけやき並木

 国の天然記念物「馬場大門けやき並木」は、940有余年前、源頼義公・義家公父子が奥州平定の「前九年の役」の途次、大國魂神社に戦勝を祈願し、同役平定後の康平5年(1062年)勝利の報賽として、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる。その後、徳川家康公により、補植されて現在の姿になったが、この場所にあった周囲9mに及んだ大けやきは、頼義公・義家公父子が奉植されたものと伝えられ、ご神木として氏子から敬愛されていた大けやきであった。その大けやきも、度々の暴風雨と、近くは昭和24年のキテイ台風によって、幹や大枝が折れ、その後、残った幹の空洞内の出火で枯死してしまった。義家公は、清和源氏に発する河内源氏の嫡流として、7歳の時、石清水八幡宮で元服、よって八幡太郎と号したが、前九年の役・後三年の役で卓越した武勇をあらわし公の代に源氏の武威の最盛期迎えた。このような大国、武蔵の国の国府であった府中、大國魂神社、けやき並木と源義家公の史実を後世に伝えるため、当時の若さあふれる公の像をこの地に建立するものである。この「八幡太郎源義家公之像」が府中の歴史を伝え、永く市民各位の心に生き続けることを願いたい。
 制作は、高岡市在住、勅許御鋳物師藤原朝臣喜多家第30代当主の三男、喜多敏勝先生 題字は、財団法人日本書道美術院審査員、鹿島敬帆先生の揮毫よる。
平成4328

創立30周年記念事業 東京府中ロータリークラブ」

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