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2009年9月24日 (木)

水神の森

千葉県成田市北須賀1626 甚兵衛公園内 市指定天然記念物 撮影2009.9 巨樹MAP
P9050004w400_2 P9050013w200_2 目通り2m3mの大きな松が145本、全体で40数本の立派な松林が残されています。日本の名松百選の記念碑が立っています。ここは印旛沼のほとり、通称「甚兵衛公園」、「甚兵衛の森」等の名で親しまれています。名前の由来を書いた案内板がありました。
「県立印旛沼自然公園
甚兵衛渡し
義民佐倉惣五郎の物語に出てくる「甚兵衛渡し」の旧跡ですが、大橋の完成(昭和43年)によって、風情豊かな渡し船の姿は消え、今はただその名残りをとどめるだけとなりました。
 甚兵衛渡しの由来は、江戸時代のはじめにさかのぼります。
台方村の名主であった惣五郎は、打ち続く凶作と重税に苦しむ農民たちを救おうと、佐倉藩内の名主とともに江戸屋敷へ強訴したり、老中に駕篭訴をするなど八方手をつくして税の軽減を願いましたが聞き入れられず将軍へ直訴を決意しました。
 雪の降りしきる夜、江戸出府のためひそかにこの渡し場へ来た惣五郎を、任侠の渡し守甚兵衛(対岸吉高の人)は、禁制を犯して鎖を切り、舟を出して惣五郎を送ったあと、老いて捕らわれの身となって生きながらえるよりはと、凍える印旛沼に身を投じたという悲しい物語があります。以後、この渡しを「甚兵衛渡し」とよぶようになったといわれています。
 江戸へ出た惣五郎は、承応元年(1652)上野の東叡山寛永寺に参拝の四代将軍徳川家綱に直訴状を差し出しました。さいわい願いは聞き届けられたものの、当時直訴は大罪であり、惣五郎と四人の子は処刑されて現在宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺)に合葬されています。」

「水神の森
成田市指定天然記念物
昭和58113日指定
 古くから水神の森(「甚兵衛の森」の名でも親しまれている)として保護されてきた松の大木十数本が主体の森です。
 かつては、ここから対岸の印旛沼吉高を結ぶ渡し舟が通っていましたが、甚兵衛大橋の完成により姿を消してしまいました。
 印旛沼の干拓によって水辺が遠くなり渡し場の風情もなくなりましたが、いまも見事な枝ぶりを見せるこの松の大木に昔をしのぶことができます。
 水神の森を含むこの一帯は、県立印旛手賀沼自然公園になっています。
-水神の森をとおして自然の保護につとめましょう-
平成33
成田市教育委員会」

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