神奈川県

2012年2月11日 (土)

ハルニレ

神奈川県大和市深見3367 深見神社境内 市指定天然記念物 撮影2012.1 巨樹MAP目通り4m 樹高30m 樹齢400
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大和駅から西へ相鉄線線路に沿って10分、深見神社の看板を右折するとすぐにあります。本殿左に聳え立つ高木がハルニレで神社の御神木となっています。ハルニレはやや湿潤地を好むということで、傍らの境川のほとりに生育したのではと、遥か昔の情景を想像しました。ハルニレは北海道を代表する樹種の一つと聞きます。いつか北海道のハルニレを見たいと思います。
「市指定天然記念物(記第二号)
ハルニレ
指定年月日 昭和47225
樹種 落葉高木(ニレ科)
形状 樹高30m 胸高周囲4m 樹齢 約400
ハルニレは夏緑樹林帯(ブナ帯)の木で、北国の山地に多く見られます。県内では丹沢山地の1000m以上の地にみられますが、深見のような低地では珍しいことです。このように珍しい木で、何という名の木かわからなかったので、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったと伝えられています。
 4~5月、葉に先だって褐紫色の小さな花を葉の脇に束状に7~15個程つかます。6月には扁平な翼をもった果実が熟して落ちます。葉の縁は鋸歯状で表面は脈がへこみザラついています。
平成93月  大和市教育委員会」
「神奈川の名木100選
深見の神社のハルニレ
和名:ハルニレ(ニレ科)
 幹はまっすぐに高く伸び、県内でも屈指のハルニレの巨木である。当神社の御神木で、樹種がわからなかったので「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれて親しまれてきた。
 大和市の天然記念物に指定されている。
 樹高30m 胸高周囲4m 樹齢 約400年(推定)」

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2011年5月 6日 (金)

神代杉

神奈川県足柄下郡箱根町湯本266 箱根町立郷土資料館 撮影2010.9 巨樹MAP
P9040050w400w400  昨年9月、箱根湯本に一泊した際に、町立郷土資料館を見学しました。写真は資料館の入口に展示されていた神代杉です。この地方では古くから、土中から発掘される神代杉を材料として、お盆やお椀などの日用品を製造していました。
 当時の展示のテーマは「道」でした。箱根八里とは小田原、三島間八里(32km)の山道を言います。江戸幕府は元和四年(1618年)に旧来の湯坂道(尾根みち)を廃止して箱根山中の芦ノ湖畔に箱根宿を置き、関所を新たに設けて湯本の三枚橋から須雲川に沿い、畑宿から急坂(樫の木の坂)を二子山南ろくに登り元箱根に至る古い山路を広げて街道を作りました。東海道中屈指の難路で詩歌、物語等で多く歌われています。箱根駅伝でおなじみの国道1号は明治以降温泉観光のために開設されたもので箱根八里とは別ものなのでした。
「神代杉
箱根の神代杉は、巨大地震による地すべりで斜面に生育していた杉が立ったまま、あるいは流下・転倒して水中や土中に埋没したといわれ、1000年以上の時を経ているものもあります。
 この神代杉は、昭和40年代後半に、箱根在住の鈴木秀治氏が、芦ノ湖西岸の「真田浜」から「百貫の鼻」の間で採取したもので、湖中にあった杉が浮き上がり、岸に流れ着いた流木です。
 平成223月、同氏より当館に寄付されたのを機に、箱根の歴史を語る資料として展示することになりました。」

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2011年3月20日 (日)

小田原城跡の巨マツ(オオマツ)

神奈川県小田原市城山1-900 小田原城祉公園内 市指定天然記念物 撮影20108巨樹MAP

目通り5.3m 樹高30m 樹齢400年(推定)
P90400831w400P9040088w200  311日の未曾有の大地震から一週間が過ぎました、被災地の皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
 私は外を歩いていて地震に遭いました。はじめて体験する大きな揺れに、すぐそばにあった児童公園に退避しました。地鳴りと、建物がきしむ不気味な音の中、近隣の住民が一斉に外に飛び出して来られました。当日は交通機関がストップし、職場から34kmを歩いて帰宅しました。途中東向島では、ご婦人からお皿に盛ったおにぎりの差し入れをただきました。四ツ木では父と子が紙を手に立っておられました。「自宅のトイレを使って下さい」と書かれています。帰宅した深夜、京都の親友から「大丈夫か」と安否確認のメールが届きました。無事を伝えると「テレビでは死亡300人、不明500人以上だが数万人死亡かも知れない!! 何かせねば!! 」と返してきました。「居ても立っても居られない」彼の姿が浮かびます。私も微力ながら被災地の皆様の力になりたいと思います。
 
小田原城跡の石段を上り常盤木門をくぐると本丸広場に出ます。この門の真裏にオオマツは立っています。常盤木とは常緑樹の意味で門のそばにあった松になぞらえてこの名前がつけられたとのことです。この松、樹高が30mと高木で東側に傾いています。支柱に支えられていますが苦しそうです。
「かながわの名木100選  昭和59年選定
小田原城跡の本丸の巨マツ(おおまつ)
和名:クロマツ(マツ科,
天保年間の相中雑誌に「御本丸に七本松という老松....」とある松の生き残りと思われる城跡内最大の巨木である。
小田原市の天然記念物に指定されている。
樹高    30m
胸高周囲 5.3m
樹齢    約400年(推定)
クロマツは、本州から九州の海岸に生える常緑の針葉高木で、アカマツとともに防風林、砂防林や街道の並木などに植えられることが多い。樹高45m、胸高周囲10m、樹齢約800年に達するものもあると言われている。」 

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2011年3月 6日 (日)

小田原城跡のイヌマキ

神奈川県小田原市城山1-900 小田原城祉公園内 市指定天然記念物 撮影20108巨樹MAP
目通り3.1m 樹高15m
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田原城は初めて目にします。歴史ドラマでよく登場するのが、秀吉の「小田原攻め」です。近くの案内板を要約すると、天正18年(15904月、関東最大の勢力を誇る戦国大名小田原北条氏の本拠地小田原城は、全国統一を推し進める関白豊臣秀吉率いる諸大名の大軍に包囲されました。豊臣方は水陸22万、一方の北条方は城下の街を囲む全長9kmの大外郭を築き、6万の人々が籠り、秀吉・家康をはじめとする名だたる戦国の英雄を迎え撃ち、3か月に及ぶ攻防戦を展開しました。北条方は城を封鎖され、孤立します。北条氏直は同年7月に降伏を申し出て、秀吉による天下統一が達成されました。北条氏の滅亡とともに戦国時代はここに終わりを告げました。
「小田原市指定天然記念物(昭和49330日指定)
小田原城跡のイヌマキ
所在    城内3-22
樹相    目通り幹囲 4.5m
株元周囲 約6m
樹高    約20m
枝張り状況 東西25m
        南北13m
 イヌマキは関東南部以西のかいがんちたいの森林に多き自生する暖温地帯を代表する常緑の高木で、小田原市内の神社や寺院の境内にも多く見られます。
この木は、幹周り4,5mに及び、市内では最大のイヌマキです。主幹は左巻きにねじれ、地上5mのところで四支幹に分岐しています。以前は、四方へ密に枝を広げて傘状の見事な姿をしていましたが、台風のために北側の大枝が折れて、支幹の一部があらわになり、現在のような姿になってしまいました。
しかし、堂々と猛々しく立つ姿は壮観で、小田原城跡内の数ある大木、古木の中でも、本丸の巨松と並ぶ双璧です。
小田原市教育委員会」

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2011年2月 6日 (日)

小田原城跡のビャクシン

神奈川県小田原市城山1-900 小田原城祉公園内 市指定天然記念物 撮影2010.9巨樹MAP
目通り3.1m 樹高15m 

P9040066_2 P9040067_2 小田原城に行きました。小田原駅から歩いて約10分正面入口馬出門土橋から入りました。城内案内図には3本の巨樹が記載されています。さっそく拝見です。門をくぐると広々とした城内に大小の松が点在し、松の緑が城内を引き立ててくれます。住吉橋を渡り、銅門をくぐると銅門広場で、この東側にビャクシンが立っています。
「小田原市指定天然記念物(昭和56330日指定)
小田原城跡のビャクシン
所在       城内3-22
樹相       目通り幹囲 3.1m
株本周囲   約3.9m
樹高       約15m
枝張り状況 東西約12m
          南北約15m
 ビャクシンは主として本州、四国、九州の海岸地帯に自生しており、庭園や社寺境内などにも植栽されている常緑樹です。
 この木は市内最大級のもので、主幹の地上約4,5mのところで二つの支幹に分かれており、各々が枝葉を伸ばして樹冠を形作り、石垣で囲った盛土の上に立っています。ただ、幹の表面に相当の損傷を受けており、見方によると一見痛々しい感じもしますが、それだけに小田原の長い歴史とともに生き続けてきた、深い年輪が刻まれているような風格のある古木です。
小田原市教育委員会」

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2011年1月10日 (月)

阿豆佐和気神社の大クス

静岡県熱海市西山町43-1 来宮神社境内 国指定天然記念物 撮影2010.9 巨樹MAP
目通り23.9m 樹高20m 樹齢2000
P90400981 熱海来宮神社の大楠です。JR伊東線来の宮駅下車3分、ガードをくぐって北側に出るとすぐにあります。入口では第二大楠と呼ばれる楠が出迎えてくれます。
「伊豆國 熱海 来宮神社 御神木
大楠
文部省指定 昭和8228
樹齢2千年 周囲23.9米 高さ約20
平成4年 環境省調査 本州1位の巨樹
来宮神社と大楠
 古代の日本民族は、大きな木、岩、滝など巨大な自然創造物に神々が宿っていると信じ、其の自然創造物の前で祭祀を行い、感謝し祈りを捧げる神籬磐境信仰を持っておりました。時が流れ建物の文化が進み、それらを中心に社殿、鳥居が建立され神社が形成されたといえます。熱海鎮座の来宮神社は江戸末期まで『木宮明神』と称し、現在の『来宮』ではなく、『木宮』の字で古文書等記されております。『木』に宿る神々をお祀りする神社として崇敬を集め、古来生活文化に欠くことのできない木に感謝する信仰を有して来ました。
過去には落雷を受け、特に『第2大楠』は木の中身は殆ど空洞といえます。しかし一年を通じ、恒に青々とした楠の菓を繁らせ、現在でも成長し続けていることから、超越した生命力を有する木と信じられ、木の生命力に肖りたいと云う人々の願いから、健康長寿・心願成就の御神木と伝えられるようになりました。
大楠伝説
 太古には、我が国では現代のような家屋はなく、文字もなく言葉ばかりの時代が長く続いておりました。
その頃この社の森には7本の樟、椎の木、細枝の大木、羊朶類等が自生しており、昼なお暗く大地を覆っておりました。
ところが今から120年前の嘉永年間に熱海村に大網事件という全村挙げての漁業権をめぐる事件が勃発し、その訴訟費等捻出のため5本の樽は伐られてしまいました。現在残されているこの大樟をも伐ろうとして樵夫が大鋸を幹に当てようとしたところ忽然として白髪の老人が現れ、両手を広げてこれを遮る様な姿になると大鋸は手元から真っ二つに折れ、同時に白髪の老人の姿は消えてしまったそうです。これは神のお告げであるとして村人等は大楠を伐ることを中止致しました。
この木が即ち現在ある御神木であります。この大楠に対して古代の人々は「神の魂にお降り願う木」つまり神の依代として、この御神木の中に宿る神の魂と人々は対面し、尊び聖なる木として崇めてまいりました。斯くて2千年の長い間、落雷、暴風雨など、世の天変地異にも耐え、現在に至っております。
この大樟を人に例えれば、世の中のあらゆる物を知り尽くしている太古老とでも申しましょうか。然るに2千年を経ても尚樹生は少しも衰えず、根は深く大地に食い込み、巨岩を抱きかかえ、幹のこぶは石の様相を呈し、内に益るる生気は益々旺にして枝は毎日西に東に伸びゆき、未来永却に生き抜こうとする生命力の強靭さには恐ろしささえ感じ取れます。 大樟は「不老長寿」「無病息災」の象徴とされ、二千年の長寿に肖ろうとする願いからか、大樟を一周すると「寿命が一年延びる」と信じられ、願い事がある方は、願い事を心に秘め幹を一周すると願いが叶うと言い伝えられ、多くの僑仰を集めています。
楠の木は、常緑樹であるが故、新葉が成長し、古葉が落ちてゆきます。言い換えれば、親の葉は、子の葉の成長を見届けて落ちてゆくのです。つまり子孫の繁栄、国家の弥栄を象徴しているともいえます。今の世に大樟のように長寿で然も厳然として物にも動せず、ひたすらに正しく生きる道に徹することが出来たならば、なんと幸せな事でありましょう。これに肖り、今現在でも国内外の方々をはじめ、訪れ願う参拝者はあとを絶ちません。
 最後に大樟を称えた、故佐々木信綱先生の詩歌を紹介いたします。
    来宮は樹齢二千年の大樟のもと 御國の栄え祈りまつらむ」
―― 来宮神社チラシより ――

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2010年4月 5日 (月)

大イチョウ

神奈川県藤沢市西富1-8-1 遊行寺境内 市指定天然記念物 撮影2010.2 巨樹MAP
目通り7.10m 樹高21m 推定樹齢650700
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藤沢駅から北へ歩き旧東海道に出ます。藤沢橋を渡り左前方の山が遊行寺です。藤沢は鎌倉時代にはこの遊行寺の門前町として、また江戸時代は東海道宿場町として栄えました。今でも古い街並みが残り歴史を感じました。
「市指定天然記念物 昭和46(1971)75日指定
大イチョウ
樹高約21m 幹回り7.10m
ひときわ大きなイチョウで、遊行寺境内のシンボルとなってます。境内最大の巨木は、市内で一番太い木でもあります。
 
かつては高さが約31mありましたが、昭和57年(19828月の台風で地上6mの辺りで幹が折れてしまいました。今、樹木全体がずんぐりとした形に見えるのは、この時の折損のためです。折れた幹の中は空洞で炭が入っていたので 、過去に火災に遭ったことがあるようです。雨で腐らないよう折れた部分にトタン板を張って防いだところ、樹勢が回復しました。平成4年(1992)の調査で6.86mだった幹回りは、平成20年の計測では7.10mと太くなっていました。

  樹齢については、指定時の調査では幹の太さから約650700年と推定されました。その後、台風で幹が折れた際に行われた折損部材の年輪測定では250年だったので、それ以上の樹齢であることは確かです。ただし、イチョウの古木は根元の外周から生えた若木が育ち、元の木が枯れて中心が空洞になることがあるので、元来の樹齢は不明とせざるを得ません。イチョウは中国原産で、日本への渡来は早くても十二世紀以降のこと、遊行寺の創建は正中2年(1325)なので、何れにせよこれをさかのぼることはないでしょう。

  雄株なのでギンナンはなりませんが、晩秋の黄葉はみごとです。例年11月下旬から12月上旬に色づきます。

  平成20年(20089

  藤沢市教育委員会」

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2009年9月12日 (土)

三溪園の臥竜梅

神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1 三溪園 撮影 2009.8 巨樹MAP
P816000511w400_2P816000211w180P816002411w180 8月中旬、横浜開港150周年を記念して三溪園の建物の内部を公開しているというので見てきました。JRの根岸駅からバスに乗り本牧で下車、歩7分で三溪園に着きます。
「三溪園は生糸貿易により財を成した実業家原三溪によって、1906年(明治3951日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)」-三溪園HPより-

 三溪園は開園当時から白梅・紅梅、約600本の梅の名所だそうです。なかでも竜が地をはう形の「臥竜梅(がりょうばい)」の古木、そして上海市から寄贈された花弁を支える萼が緑色の「緑萼梅(りょくがくばい)」という珍しい梅もあります。
「臥竜梅(がりょうばい)
幹があたかも竜がはうような形をしているので、この名があります。
このあたりの梅の木は、原三溪が援助した画家下村観山筆の名作「弱法師」のモデルになりました。」

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2009年8月24日 (月)

旧白洲邸武相荘の柿

東京都町田市能ヶ谷町 1284 撮影2009.8 巨樹MAP
P1010013w400_6P10100141w180_5P1010007w180_5
小田急小田原線鶴川駅下車北口から歩いて15分ほど、白洲次郎・正子旧宅「武相荘」を見ました。夫妻が昭和18年から移り住んだ旧宅です。スタッフの方にお聞きすると、もとは養蚕農家の民家で築160年、柱と梁以外は自分で手を加えたといいます。土間もタイル張りの床暖房に改修しました。ガレージに置いてあった農機具や工具類は興味深かったです。
 2006年に屋根の葺き替えが行われていますが、この仕事には京都美山の若い萱葺職人があたりました。この方は「白洲賞」の第一回受賞者となっています。
 入口に門がありますがこれは後から建てられたもので、近所に団地ができて他の地方の人々が平気で庭に入り込み、ピクニックをするようになったからだといいます。柿の木はこの門をくぐるとすぐ右側にあります。

「カキ。カキ科。高さ10mになる落葉高木。本州中部以南に分布。初花に雌花、雄花をつける雌雄同株。果実は大型の液果で、甘・渋があり食用となる。材は重硬で、黒色の縞や濃淡があることがある。一面黒の材は「黒柿」と呼ばれ珍重される。家具・装飾材に。」
「私の家にある柿の木だが、この程度の大木は柿生から鶴川へかけての農家にはいくらでもある。樹齢は200年から300年。「禅寺丸」という種類で、実は小さいがおいしい柿である。南北朝の頃、王禅寺の住職が発見して、この地方に普及したと伝え、徳川時代には日に夜をついで江戸の町へ運ばれたという。禅寺丸の名は、王禅寺の丸柿という意味である。」
-白洲正子著 「木」より-

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2009年5月18日 (月)

円覚寺のビャクシン(方丈前)

神奈川県鎌倉市山ノ内409 円覚寺境内 市指定天然記念物 撮影2009.4 巨樹MAP
P1010031w400P1010037w200

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